夫婦別姓か、同姓か、シチュエーションで名字を使い分けるのはどう?
さきほど、夫婦別姓をもとめて最高裁まで争われた裁判の判決が下った。
訴えの「夫婦が同じ姓を名乗らなけばならない規定は違憲」に対して判決は「夫婦同姓は社会的合理性があり合憲」だった。
原告の女性のひとりは、夫婦同姓にすることで体に変調をきたすほどのストレスを感じたということで、本人なりに大変なことなのだろう。
が、それは本当に大変なことなのだろうか。
というのも、今ぼくが滞在しているインドネシアでは、複数の名前を相手に応じて使い分けている人が少なくない。
ある女性は初対面の時に「シンディ」と英語風な名前の名刺をくれたが、次に会ったときには「ヤスミン」とイスラム風に名乗り、その次は「シャオリン」というベタに中華な名前で現れた。どうやら華僑らしく、そしてどれも本人の名前らしい。
これはどういうことなのかを、バリ島在住の日本人男性に訊いたら、インドネシアでは相手によって名前を使い分けることがよくあるらしい。
彼も、ホテルの予約はムハンマドという名でするし、レストランの予約はワヤンというバリ人の名でしているそうだ。そしてパスポートは日本のものだから本名は普通に日本名だ。予約とパスポートの名前が違っていても誰も気にしないという。
先のシンディは、外国人に名乗る名前は決まっていないので、ぼくには会う度にその時に適当だと思った名前で自己紹介しているようだ。
姓と名字の違い
ところで、日本の日常生活で、姓と名字は混同されているが、本来このふたつは本来は別のものだ。
「姓」は天皇から下付されるものものをいい、源・平・橘などいくつかの数しかない。しかしそれでは不便なので武士は在住地名などをとって「名字」として名乗るようになった。名字は自分で好きなものを名乗ってよく、やがてその習慣が広がり、江戸時代後期には庶民の多くが名字を名乗っていたことがわかっている。江戸時代の庶民は名字を持てない説があるがそれは誤りだ。そして庶民は結婚したら夫婦で同一の名字を名乗っていた。
日本人も環境にあわせて名字と名前を変えていた
かつては名前は出世や環境の変化に合わせて変えることは珍しくなかった。
先日、最終回をむかえたNHK大河ドラマ「花燃ゆ」は幕末から明治にかけてが舞台なこともあって、登場人物の名前がどんどん変わっていった。井上真央が演じる主人公の みわ は杉文→久坂文→久坂美和→楫取美和子と変わった。
一方、みわの(ふたりめの)夫は、松島久米次郎→小田村伊之助→小田村文助→楫取素彦とあらたまっていった。環境の変化にあわせて名前も変化していくのだね。
楫取は毛利の殿様からいただいた名字。「今日からお前は楫取と名乗るがよい」「ははー!」とこの上ない名誉で、よろこんで名乗っていた。
こういうのをみると結婚や出世など環境の変化に応じて呼ばれ方が変わるのは、むかしの日本でもアリのようだ。何故なら名前とは本来、周りの人がそう認識するためにあるものだからだ。
裁判の原告のひとり塚本さんは「私のアイデンティティーは塚本協子そのものだったんです。そのアイデンティティーを失った人間はどうなるのでしょう」とおっしゃっている。この人は自己などというあやふやなものを確固たるものだと誤解している。だから、形の無いものに執われて身動きがとれなくなってしまったのだろう。
無我とは何か、きっと考えたこともないだろうね。
現代物質社会の犠牲者かな。で、思ったんだけど、もしかしたら仕事場と家庭では名字が違うというのは、気持ちがオンオフで切り替わって案外いいことかもしれないね。いまは職場と家庭で別の名字を名乗れるのは女性の特権のようなものだが、これからは男性も複数の名字を名乗れるように、オンオフ別名字制度導入を議論してもいいかも。
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