神々の峠 チョラパスを越える。チョラかチョララか、峠の名の謎を解明する
エヴェレスト山域には、カラパタールとゴーキョピークのふたつの展望台がある。
どちらも標高5500m程度の丘だが、両者を往来するためには、その間にある標高5420mの急峻な峠、チョラ ラ(または チョラ パス)を越えなければならない。まあ、本当はもっと優しい回り道ルートもあるんだけど、せっかくだからチョラ ラを越えることにした。
まずは、カラパタールやエヴェレストBCへの中継地点となるロブチェから、山腹を巻くフラットなトレイルを3時間ほど歩いてゾンラに到着。
ゾンラはチョララ越えのためにある山小屋の集落。標高4800m。
東方にアマダブラムを見る、クーンブ山域の絶景ポイントの一つ。ゾンラから西方を見ると、チョララのある山脈がみえる。
標高5420mの峠、チョララは、尖った三角山を回ったところにある。
ここから峠そのものは見えない。
明日は朝早くここを出発するから、今日も早く寝るのだ。
だいたい、山では夕食が終わったらすることがないから、夜8時頃にはみな寝支度を始める。力仕事のポーターは9時には寝てしまうし、僕も毎晩9時頃には寝袋に入っていた。
朝5時起床
早朝出発するトレッカーが多いため、朝5時には宿のおかみさんは猛烈に働いている。
朝5時40分 ゾンラを出発
峠で強風にあったら歩くのが大変なので、風が吹き始める前にチョラ ラを越えたいから、少し早めに歩き始めるのだ。一般的に風が吹き始めるのは午前10時頃。もし前方から強風が吹いたら、ものすごく歩きにくい。
振りかえると、朝焼けを受けたアマダブラムが美しくシルエットになっている。
この辺りはフラットな路をまっすぐ歩くだけだから楽なものだ。
午前6時10分
6時を過ぎると手持ち写真が撮れるくらいに明るくなってくる。
午前6時50分 日の出を見る
振りかえると、朝日が稜線から登ってくる。
断崖に突き当たったら、右方向へ登り始める。
陽が当たると、急に暑くなってくるし、しかもこれから急な登り。ここは大岩が積み重なっているようなところで、両手両足を使って登らなければならない。
みな服を1枚脱いで、少し軽装になる。
ああ、まだあんなに上の方へ続いている……。
午前7時20分
30分ほどで登りきった。
意外に簡単だった。
しばらく休んでから、また歩き始める。この先は平坦な道が500mほど続く筈。けれども今回は10月下旬に降った雪が残ったままで、一部が凍っていて滑りやすかった。
でも、誰1人としてアイゼンを履く人はいない。
ぼくは、せっかく持ってきたのだから6本爪の軽アイゼンを着けて歩いた。当たり前だけど、物凄く歩きやすい! みんなどうして使わないんだろうか? と思ったけど、ドイツ人とか寒い国の人はこれくらいの雪は普通なんだろうね。日本でも、日本海側の人ならなんでもない路なのかも。
午前8時50分 チョラパスに到着
チョラ ラに到着。風はまったくない。
ここで皆、チョコバーなんかを頬張って本格的に休憩をとっている。
ぼくは、ゾンラの宿でランチボックスを頼んだんだけど、Rs1000もしたのに、中身が小さなチーズ一切れ・焼いた食パン2枚・ゆで玉子1個・ペットボトルのミネラルウォーター1本で全部だった。たったこれだけ…..。
せっかくの峠の上で、せつない思いをしながらチーズを食べた。
この辺りではミネラルウォーター1本でもRs250もするから、ある意味では値段相応かもしれないが、ソンした気がするなあ。ぼくもチョコバーがよかったな。
午前9時30分 チョラパスを越える
峠を越えたので、こんどは下る一方。
目もくらむような下り坂だ(これを坂というのだろうか?)。
チョララは、カラパタール側からアプローチするのと、ゴーキョ側からと、どちらの方が易しいかは、人によって意見が違う。
ゴーキョ側から歩いて来る人も結構多い。
どちらにせよ下り坂は、足が着地するのは滑りやすい砂利か、膝に衝撃が来る岩か、どちらかで、みるみるうちに疲労が溜まる。この山域では、すれ違うトレッカーに挨拶をしても返事がないことが時々あるが、これは疲れて声もでないからで、ぼくもたまに返事ができないことがある。
午前10時40分 チョラパスを下りきった
チョララを登りきるまでは元気いっぱいだったのに、降りきった頃は疲労困憊。振り返って今越えてきたチョララを見る。
すっかり無口になって、黙々と歩く。
午後12時10分 今日の宿泊地に到着
ようやく、ンゴズンバ氷河のほとりの集落、タンナThagnakが見えてきた。
ああ疲れた。
この先、ゴーキョまで2時間ほどの距離だがとても歩けない。
タンラの宿で、ポーターもぐっすりと昼寝をしている。
タンナはシェルパ語でドラッナックDragagと呼ばれる。
今日はここまで。
明日は、いよいよゴーキョピークへ登る日だ。
上のグーグルマップでは、タンナからゴーキョまで徒歩34分と表示されているが、そんなに速く歩けるわけがない。舗装道路なら所要時間はそれくらいで済む距離だが、堆積氷河の上を歩いていくのだ。その数倍を要すだろう。
チョラ? チョララ? 峠の呼び名はどちらが正しいのか
ところで、チョララの呼び名にはいくつかのバリエーションがある。
外国人と接することが多いガイドたちネパール人は英語風に"チョラ パス“と呼ぶ。
ぼくは英語で話すときでも"チョララ"と呼んでいる。
ときどき、外国人(特に日本人)から、"La"はシェルパ語やチベット語で「峠」を意味する単語だから、Laが2重の"Chola La"は間違いで"Cho La"が正しい! という細部にこだわった意見を聞くことがある。だれが最初にこんなことを言い出したのか分からないが感心しない。
だいたい日本人はLとRの区別がつかないから"Chola-La" と発音すべきところを"Chora-Ra" とか言っているし。LとRを間違えながらご高説をたれても、ますますなんだかなあだよなあ。
Laと「峠」は意味が同じではない
”La”はシェルパ語やチベット語で「峠」を意味するといわれている。しかし、それは半分しか正しくない。実は、シェルパ語の La は日本語の「峠」よりも意味が広いのだ。
“La"をあえて日本語にするなら「人が往来できる標高の高い場所」という意味だ。シェルパ達は、タライ平野やインドなどの低地を「アウルの世界」と呼び、一方自分たちの住む世界を「ラの世界」と呼んで区別している。アウルとラの境界がどこにあるかと訊くと、おおむね標高3000mあたりで区別される。ナムチェバザールはすでに「ラの世界」だ。
シェルパたちは"La"という名称の場所を日本語の「峠」と同じ意味で認識しているのではなく、「標高3000m以上の人が往来できる場所」と認識している。というのも、標高3000m以下の峠のことをシェルパは “La"と呼ばないからである。
シェルパ語の"La"と日本語の"峠"は、概念が異なるにもかかわらず、両者を同一だと勘違いするところに誤解がおきるのだろう。
上代の日本語の峠の意味
国語学者の大野晋氏によれば、上代の日本において峠は「神がいる場所」だった。その場所を支配する神に手向けをして通行の許しを得る場所なので「たむけ」と呼んでいた。時代を経るにしたがってtamuke→tamke→tauge→tougeと音が変化して峠になったのだそうだ。
峠という概念は日本にしかない
余談だが、「峠」という漢字は国字(日本で作られた字)で、中国語には「峠」という字がない。すなわち中国人には峠という概念がないのだ。地形を表す字として中国語では「嶺」が峠に近いが、それぞれの字の意味する範囲はおのずと異なる。
上代の日本人は「嶺」では日本語の「とうげ」を表せないので「峠」という字を作成した。このように、言語によって単語の意味が異なることは、複数の言語を話す人ならよくお分かりのことと思う。英語のPassも、日本語の峠と意味は完全に同じではない。
“チョラ"のつく地名は他にもたくさんある
チョララの周辺には、標高6335m峰のチョラツェ、碧湖のチョラツォ、渓流チョラコーラのように、「チョラ」を冠する地名がたくさんある。
それらと同じく、チョラという名称に「ラ」がついた地名がチョララだ。やはりこの峠は「チョララ」または「チョラ峠」と呼ぶのが妥当だろう。
下の写真は碧く輝く湖、チョラツォ。
シェルパはチュグマラと呼ぶ
ところで当のシェルパ達はこの峠をなんと呼んでいるかというと「チュグマラ」と呼んでいる。「チョララ」でも「チョラ」でもないのだった。
そんな彼らに、「チョララ」と「チョラ」のどちらが正しいかと訊いたところ、誰もが「どちらでもよい」と答えた。なぜなら、ネパールは他民族・多言語の国で、ひとつ山を越えれば別の言語や方言を話す人々がいるので、呼び名が少し違うくらいは普通のことだから「これが正しく唯一の地名」というのはないのだ、と説明してくれた。
ああ、何と言うことだろう。
シェルパ語もネパール語もさっぱり分からない日本人が「チョラ ラが正しい」「いやチョラが正しい」などと下らない議論をする一方で、当のシェルパ達は「どちらでもよい」というのだった。他民族が共生するというのは、お互いの違いをおおらかに認め合うことなのだな。
そういえばEU(ヨーロッパ)もその理念で成りたっているんだっけ。日本人もそうありたいものだ。
Laは神さまも意味する
最後になるが、"La" はシェルパ語で「神さま」も意味する。
神さま、仏さま、本日もご加護をくださりありがとうございました。お陰さまで無事にチョララを越えることができました。
おしまい。
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