チベットで祀られる日本人
ラサの北郊にあるセラ寺は、チベットで最も大きい寺院の一つ。
かつてチベットには、何千人もの僧侶を擁する仏教寺院がいくつもあったが、中国の侵略後はその多くが破壊され廃墟となってしまった。僧侶はインドへ脱出するか、残った者は還俗させられた。
インドへ脱出したセラ寺の僧侶たちは、2500km離れた南インドのマイソールに新たな「セラ寺」を建てて、そちらで勉学に励んでいる。15世紀の創建以来のセラ寺の伝統は、なんと熱帯の地で守られているのだ。下の写真は、マイソールにあるセラ寺。
チベット人は自分たちの文化と仏教をまさに「命を賭けて」守っている。これほどの覚悟と実行力のある民族はなかなかいない。今回のチベットの旅で感じたのは、彼らの「生きる力」だった。
一方、ラサにある本家本元のセラ寺は、中国共産党による厳しい監視の下で再建されている。共産党が1950年代に破壊した寺を、同じ共産党が「平和な中国」を演出するために整備しているのである。北京の思惑に翻弄されるチベット人たち。
セラ寺は学問の寺で、毎日、広場で問答が行われてる。
明治30年、仏教僧侶の河口慧海は、日本の大乗経典の不備を補うため、チベットへ旅だった。チベットはインドから近いため、直訳された経典が多数あるからだ。しかしチベットは日本からは遠く、神戸港で船に乗ってからほぼ4年の歳月をかけて河口慧海師はラサに到着し、ここセラ寺で経典を学んだ。師は、チベットに入域した初の日本人であった。
問答広場の北側にあるハムドンカンツァン(地方班堂)には、河口慧海師を祀った霊塔がある。霊塔とは、ダライラマやパンチェンラマなど特別な人物の遺骸を収めた塔で、仏塔と同じ形をしている。
チベットでは、チベット人以外の霊塔は、河口慧海師のものがただひとつあるだけなのだそうだ。霊塔には師の遺灰が分骨されているという。残念ながらハムドンカンツァンは修復工事中で中に入れなかったので、建物の外観の写真だけ撮った。
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