インドで最も汚い街バラナシを流れる、インドでもっとも聖なる河ガンガ
聖河ガンガの水はたいへん汚い。
川岸で火葬をして遺灰を水に流していたり、ドビ(洗濯人)の仕事で洗剤が泡立っていたり、トイレになっていたりと、あらゆる排泄物が川に流れ込んでいる。
インド人は、その水で沐浴している。
「インドで最も聖なる街は、インドで最も汚い街だ」
とは、1938年に発刊された英国の著述家によるヴァラナシ滞在記の冒頭に記された文だ。ヴァラナシは世界で最も歴史のある街だが、汚いことでも世界でナンバルワンかもしれない。
ヴァラナシがなぜ汚いかというと、旧市街の路は細く狭く曲がりくねっていて、薄暗がりが多い。暗がりは自然と住民のトイレになり、またゴミ集積場になるから、異臭がする。ゴミ集積所といっても、日本のように分別されて袋にまとめられているわけではなく、食べかすなんぞが無造作に積み上げられているだけだ。それを食べに牛が集まってくる。そして牛は食べながら放尿する。人間と動物の、食べ残しと糞尿がまじって、どの小路も悪臭が漂う。
異臭が発する場所のすぐそばにも祠があって神々が祀られているし、そもそもヴァラナシはガンガ沿いに開けたインドを代表する聖都。聖なる街がこんなに汚くていいのだろうか。
ガンガの聖水はすべての不浄を洗い流すことができる。
心身に蓄積された不浄を洗い流すのに、ガンガの水ほど強力な威力を持つものは他にない。それほどまでに清まった聖水は、人間がけがすことはできない。だから、どんなによごれていようとも、ガンガは清浄な水なのだ。
これがヒンドゥーの考え方だが、日本人なら共感をもてる人はあまりいないだろう。よごれているのに、けがれていないとは、どういうことだろう? 漢字はどちらも「汚れている」だ。日本人ならば、よごれていれば、けがれていると考えるだろう。死体を焼いた灰や糞尿混じりの水を神棚にあげるなんて日本人にはとってもじゃないが考えられない。ありえない!
しかし、この国ではそれが普通である。
富士山の国と、ガンガの国とでは、物事の考え方がずいぶんと異なる。
ディスカッション
コメント一覧
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けがれている、を、汚れている、ではなく、気がかれている、とすると、ガンガの気はかれていないという考え方なのでしょうか?分からな~い。入った感じはどうですか?(~_~;)
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本当はこの場合は「穢れている」と表すから「汚れている」とは違う概念なんです。と、頭で解ってはいるのですが、インド人のように心から思うことができません。聞けばインド人も川の水を「とてもきたない」と言っています(笑)。彼らは「汚い水だが清い水」という概念が両立しているんですね。入ったらぬるぬるして気持ちよくないです〜
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川とは山の間を流れる水です
山が流れ方で
流れ方は川です
川は川で何が流れても流れが変わることがありません
舟が流れても流れは変わりません
流れ方が川でありますから
当然そこに何が流れていても関係が無いわけです
ここで言われている神聖な川というのは、流れの事を言っていて、その流れ型が美しいと言うものであり、人を脅かすような川ではないと言う意味であります。但しインドでは中国のように人を脅かす川は治水してしまえなどという発想には到る事が無く、そのままで、川は聖なるものであるのだから、人が流されるのはしょうがないとして直さないのです。
インドでは川が汚くても、それは川に汚いものが身を携えているという様に考え、けして汚い川と川そのものの扱いを変える事は無いのです。インドでは自然に対して抗うということが無いのです。
中国では違い、妥当であればいくらでも変えます。美しさはありますが、美しくないものまで放置するほど暇ではないのです。ですから日本の文化も当然インドより中国と言えるでしょう。日本のほうが細長い地形ですから、そこを通っていく物を重視するでしょう。中国では囲まれた平野があり、ここで展開することがすべてです。
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治水とは面白い観点ですね。日本は、国土のほとんどが峻厳な山脈地帯で、台風の季節は渓流の氾濫が多く、治水は昔から大変重要でした。対してインドは、国土の大部分が平坦で河川が氾濫することも少なく、治水の必要性が少なかったと思います。それぞれの国民性の成りたちに、国土の地形や気象条件も関係しているんでしょうね。ぼくは、日本の弁才天堂とインドのサラスワティー寺院の水回りを比べて、日本人とインド人の感覚の違いを感じています。