【現場から報告】震災後のネパールで自衛隊はどんな活躍しているのか?
2度目の大地震はネパール人に相当ショックだったらしく、翌日もほとんどの商店もオフィスも閉まっていた。お陰で市内の交通量は少ない。スンダーラの乗り合い自動車停留所もいつもほど賑わっていなかった。右側に並んでいるのが乗り合い自動車。
この通りを右から左へ渡るとトゥンディケルという広場がある。
カトマンドゥ市の中心にある広場で、4月25日の大震災の後に、家屋の倒壊を怖れる住民がここで幾夜も過ごしていた。日本のテレビにも何度も登場した場所だ。場所柄、簡単に取材できるのも報道に何度も登場した理由のひとつだろう。
その後、ほとんどのテントは撤去され、一昨日に残っているテントを数えたら95しかなかった。1個のテントに10人が住んでいると仮定して、合計約950人がここに残っていることになる。これを多いとみるか少ないとみるかは視点によるが、現地ネパール人も在住日本人も「ほとんどの避難民はすでに帰宅した」と見なしていた。ぼくがこの目で見ても、広々としたトゥンディケルで見かける人数は少なかった。
だが、昨日の大地震で再び避難民が増えた。
激増したというほどではないが、時間をもてあまして休んでいる家族があちこちにいる。建物内にいたくないと思う人がかなり多いのだ。並んでいる青いテントは中国の援助によるもの。中国はネパールの隣国なだけに援助に力を入れていて、カトマンドゥの方々で中国人の姿を見かけた。
テントの前で料理をつくる一家。
地元テレビ局のレポートによれば、現在、この広場でテント暮らしをしているのは震災で住居を失った被災者だけでなく、もともとスラムに暮らしていた家族がかなりの割合でいるそうだ。この種の人々にとってトゥンディケルでの生活水準は震災前より上がったといえる。さすがはネパール人、生命力の強さに感心する。
カトマンドゥに翻る日の丸を発見
おや、あれに見えるは…….
日の丸ではないか。
紫色に咲くジャガランダの花を背景に翻るわれらが日章旗。
看板にJapan Ground Self Defense Forceと書いてある。陸上自衛隊の診療所があるのだね。英語でJDFと書いてあるけど、付近の人はそんな耳慣れない呼びにくい名前ではなく単に"Japanese Army"と呼んでいる。Self Defense Forceという言葉は外国では通用しない(意味が分からない)。
緑色のテントは日本から持ち込んだ品、その左のテントは現地で借りた品だそうだ。診療は左のテントで行われている。
テントの中はこんな様子。
女性隊員がにこやかに応対している。
この皆さんは「ネパール国際緊急援助医療援助隊」という名称で、約110名の隊員が日本から派遣されている。5月2日から、トゥンディケルとチャビル交差点近くの2箇所にこのような診療所を作って活動しているそうだ。
症状の重い患者が運ばれてきた。
隊員たちは一所懸命に診療をしている。
真剣にネパールの受難に対応している自衛隊員を見て、ぼくは日本人として誇らしく思った……のだが、同時に少々疑問がおきた。
最も安全な場所で自衛隊は何をしているのか
これまでのぼくのブログを読んでもらえば分かると思うが、震災からすでに18日が過ぎ、カトマンドゥ市内は平常を取り戻しつつあった。昨日の余震で人々のモチベーションは大幅に低下したが、市内での被害は多くはないし、水も電気も食料も不足していない。そして市内の病院は震災被害者を無料で診療している。現在、あえてカトマンドゥ市の中心地トゥンディケルに自衛隊が診療所を開く必要性はないのではないか。
ぼくは、チベット人たちが自力で食料や医療品を買い込み、車を手配して被災地へ向かう姿を見ているし、民間のネパール人や観光客の西洋人たちもそれぞれ出来る範囲で食料を買って被災地に足を運んでいる。
被害の大きい北部山岳地帯は自動車道路が整備されておらず、最寄りの道路から徒歩1日〜3日以上かかる遠隔地が多い。そうした村々の被害状況をネパール政府が把握できていない一方で、インド軍や中国軍がヘリコプターを使って被災者を100人単位で救助している。こちらのテレビでは、毎日ニュースでそんな映像が流れている。
インドや中国は隣国だから活動熱心だとしても、アメリカ軍も普天間基地からはるばるオスプレイを4機飛ばして東部山岳地帯で救援活動をしている。垂直に飛ぶことが出来るオスプレイは山岳地帯で高い機動力を発揮するのだ。オスプレイに命を救われた人々も少なくない。
そうして各国の軍民がそれぞれ困難な地域での救援に全力を尽くしているのに、なぜ日本の自衛隊は、広いネパールの最も安全な場所に診療所を開き、震災とは無関係と思われる患者を治療しているのだろうか。
と、素朴な疑問を広報担当者にぶつけたところ、「受け入れ側の要望に応じての活動をしている」と繰り返すばかりで明確な答えは返ってこなかった。受け入れ側が誰なのか不明確だし、その要望を誰が受けているのかも即答できないでいる。昨今は民間企業でもコンプライアンス重視の世の中だからこんな説明しかできないのかもしれないが、「最終的には防衛大臣が決めている」といわれても全く納得できない。けれども、それ以上の答えはこの場ではでてこなかった。
とはいっても、政治に疎いぼくでも、自衛隊の海外での活動に制限があることと、ネパール政府との調整不足が原因であることはすぐに分かる。一言で言えば、日本の自衛隊には緊急時に海外で展開する実力がないのだ。
それから、万一事故が起きたときの日本の世論が犠牲者に冷たいことも理由にあげられると思う。万一、自衛隊員が遠隔地へ赴いて二次被害が起きたら、マスコミもネット世論もよってたかって責任者を袋だたきをするだろう。「危険なところに行くのが悪い」という論法で。
というのも、カトマンドゥ滞在の自衛隊員は、山岳地帯どころかなんとホテルと診療所を往復するだけが日課で、それ以外の場所を訪れることを禁じられている。非番でも行動範囲はホテル周辺に限定され、タメルから出ることが出来ない。すぐそこにあるダルバール広場へもインドラチョウクへも行くことが禁止されているんだよ。ツーリストは皆カメラを持って普通に散歩しているのに。その不条理には驚いた。旧市街を歩いて回ればネパールという国の一端が見えてくる筈で、それは医療援助隊にとって観光ではなく勉強だと思う。
それもこれも日本の世論の反発を気にして、隊員の安全を完全に確保しなければならないのが理由らしい。
残念ながらトゥンディケルに自衛隊が診療所を設けていることは、一般のネパール人だけでなく、日本通のネパール人も知られていない。こちらのマスコミがほとんど取り上げないからね。でもインパクトのない事業だから仕方がないな。
念のために書いておくが、現場の隊員は職務に熱心に取り組んでいる。ここで問題なのは医療現場の隊員ではなく、日本というシステムが目の前で起きている危機に対応できないでいることだ。
これだけの薬があるなら、北部へ持っていってほしい。
そこにはこれを必要としている人たちがいる。
ところでこの広場は、この記事で書いているようにトゥンディケルというのだが、日本の報道機関も自衛隊もラトナパークと呼んでいる。ラトナパークは隣にある樹木につつまれた公園のことだが、区別がついていないようだ。初めて来た国のことだからよく分からないんだろうけど、情報収集はしっかりやってほしい。
自衛隊の診療テントと並んで、電話会社やヨガ団体もテントを張っていた。ヨガ団体はお茶を配っていて、人気で列が出来ている。時間によって食事も配っているようだ。
ボランティアで楽器を演奏する西洋人の若者。
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