ネパールでM7.4の余震が発生、裸足で家を飛び出る人々
午後1時、ランチを終えてソファに座ってうとうとしていたら、遠くでサンデャが「ありがさん!」とぼくを呼んだ。続けて「外へ出てください」という声が聞こえてきた。
すぐに家が揺れ始めた。あわてて勝手口から裏庭へ出て振りかえると、家が大きく揺れている。大きな余震がやってきたものだ。そして家は本当にブルブルと揺れるのだと始めてこの目で見た。ぼくは4年前の311は日本にいなかったので体験していない。
サンデャは耳がいいのか、他の人よりも早く地鳴りを聞きつけるようだ。
家の前の道で、近隣の人たちが佇んでいた。
サンデャもスワロージも裸足だった。誰もがすっ飛んで外へ出てきたのだ。ぼくはたまたまMacBookProを手にしていたが、この通りで手ぶらでないのはぼくだけだった。
隣家の一家は広い庭に避難している。
余震が起きる度に子供たちが怖がっている。上空ではヘリコプターが低空で周回している。やがて、震源地はシンドバルチョウク(カトマンドゥ北東)付近でマグニチュード7.4であることが伝わってきた。もっともカトマンドゥでの揺れ方はそんなに大きくはないと思う。スマホを持っている者はネット情報をチェックしている。
しばらくすると、近隣の誰かが絨毯や椅子を道路に広げてくれた。お陰でぼくは絨毯に座って、こうしてMacBookProのキーボードを叩いている。その後も小さな余震が15分おきにあり、人々はなかなか家に入ろうとしない。
タメルの店はすべてシャッターを下ろした
タメルに限らず、他のどのエリアでも同じだと思う。バートバティニも閉店していたし。アッサンからタメルにかけてはほぼすべての店が閉まっていたが、ディリバザールの店は1割ぐらい開いていたように思う。
カトマンドゥゲストハウスにはインドネシア国軍の救援司令部が置かれていたが、今日の地震で宿の移転を即決しただちにKGHをチェックアウト、ブダニルカンタ近くのヴィラへと移っていった。なんと素早い決断だろう。「自分たちのことを決めることだけは早い」という陰口が聞こえてきた。
タヒティチョウクの野菜売りは相変わらず。
インドネシア軍よりもネパールの野菜売りの女の方が不動心がありそうだ。
明日のカトマンドゥはどんな様子だろうか。
ディスカッション
コメント一覧
有賀さん大丈夫だったみたいで良かったです!日本のニュースでは東部のチャウタラで7.3の地震があり、36人亡くなり、1100人以上が負傷したらしいと…
やはり、余震が未だ未だ続くでしょうから
気を付けて下さいね!
ネパール人の友人達と一緒に居た方が安全かも?
今回の地震でカトマンドゥ市内で壊れた建物は10棟ほどだと聞いています。まだまだ完全に安心はできませんが、気をつけて今後を過ごしますね。
どうもありがとうございます。
お早うございます、ネパールだけでなく日本の東北地方に震度5の地震がありました(^-^; 3*11の余震らしいですが何年経っても余震に怯えながら過ごすのには忍耐力が必要ですね!
箱根も震度2で真っ白い煙がもくもくと立ち込めているし、6㎝土地が隆起してるそうです! この地震何か国をまたいで連動してる気がします
帰国日までお大事にしてください
震災から16日が過ぎて、油断していたらヒット!されました。
ネパール人は結構シリアスになっています。昨晩は余震を心配してうちの家族も庭で寝ていましたが、蚊がいるといって深夜1時頃に屋内に戻ってきました。その後、深夜2時の余震でみんなで外へ飛び出ました。
今日は寝不足気味です。
昨夜は少しは寝れましたか? 未だ余震は続いてますか? ネパールにも蚊が居るんですね!TVでも皆、建物が崩れるのが怖くて、外にテント作って寝てるみたいですね!
学生さんのボランティアが逞しく、有り難いですね?これからの国の光に成って欲しいな♪
昨晩はぐっすり眠りました。
お世話になっている家の人たちも、朝はすっきりした顔をしていました。
ネパールの学生も結構やりますねえ。頼もしいです。