崩壊したビル群を目前にして
のんびりとタメルを歩いた後に、大規模なビル崩落現場へ行くことにした。場所はリングロード沿いで、スワヤンブナート寺院の裏側あたり、タメルから車でしばらく走った距離。
リングロードの交通量はいつもと変わらず。
リングロードは、カトマンドゥ市の周囲を巡る環状道路で、1980年代に日本のODAで作られた自動車道路。開通した頃は「こんなに広い道路を作って一体何の役に立つのだろうか」と思ったほどカトマンドゥの交通量は少なかったが、その後交通量が爆発的に増えて現在では慢性渋滞している。
そのリングロードに面して無残な姿をさらす崩壊した建物。
ここでは中国人民解放軍が救助活動をしていたが、瓦礫の下に埋もれたままの人は死者も含めていないことがすでに確認され、解放軍はすでに帰国したそうだ。
上の現場と、リングロードを挟んで向かいにあるビルは、一階が潰れていた。
その少し先にあるビル。
黄色いヘルメットを被っているのはボランティアの建築技術者たち。建物の耐震性を一軒ずつチェックしてまわっているそうだ。でもこの建物はチェックしようもない状態だね。
この辺りには崩壊した建物がかたまっている。その理由は地形や地質に原因があるのかというとそうではなく、耐震性を考慮しない安易な施工主が多かったということらしい。
こうして崩壊した建物の写真を並べると臨場感が増すが、タメルから車でしばらく走ってようやく見つけた現場、というのが実感だ。
カトマンドゥで最も被害が多かった地域
カトマンドゥで一番被害が多かったのはここ。
ニューバスパーク(新バスターミナル)に近いリングロード沿いのビル群で、ここも日本の報道番組に何度も登場していた。
いやあ、これはスゴイ。
こんな映像を毎日見ていたらカトマンドゥ全体が崩壊したと錯覚するのも無理はない。
周囲に瓦礫が広がるなか、たった一棟だけ残ったビルの一階で、けなげにも雑貨店が営業していた。
すごい勇気だ。
コーラでも買って飲もうか。
バスターミナル周辺に位置するこれらの建物の多くは、場所柄宿泊施設であった。宿泊者はネパール人かインド人ばかりで、外国人ツーリストで泊まる人がいないため知られていないが、この辺りは大規模なホテル街なのだ。そのためこの一帯で亡くなった人は、ほとんどが地方出身のネパール人だったそうだ。
長距離バスは減便しているため、動いているバスは大変な混雑振りのようだ。震災後に村へ帰っていた労働者たちも、少しずつバスに乗ってカトマンドゥに戻り始めている。
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