黒い津波が街を消滅させてから15年、今も残る傷跡
インド洋に浮かぶウェー島を訪れるためには、まずアチェ州の州都バンダ アチェへ行く。空路ならジャカルタから3時間、クアラルンプールからは1時間半の距離。日本からはKL経由で行った方が早いね。
バンダアチェ空港で飛行機を降りると、こんな美女が素敵な微笑みで迎えてくれる。昨年のミス アチェだ。すごくレベルが高いですなあ。
アチェ州の名は、多くの人が聞き覚えがあると思う。2004年12月のスマトラ沖地震でおきた津波で大被害にあったことが何度も日本でも報道されたから。
アチェにいまも残る津波の傷跡
すっかり復興したように見えるアチェの町。
2005年12月におきた地震はマグニチュード9.1。東日本大震災の地震の1.4倍の大きさだ。津波は、高さ10m、地形によって30mを超えてバンダ アチェを襲った。
町の人に津波の知識はなかった。水が引いてむきだしになった海底を珍しそうにして歩き、取りのこされた魚を手づかみで捕っていて、津波にのみ込まれた人も少なくない。
ここは、津波で亡くなった人たち46718名が埋葬された集団墓地。
墓地といっても草が生えているだけの広場で、4万人以上の埋葬者が誰なのか分からないので墓碑もない。熱帯では遺体の腐敗が早く、身元確認がほとんどできないまま、空いていたこの土地にまとめて埋められた。しかし遺族は今もここへきて家族を偲ぶという。震災の翌年に当時の小泉首相もこの墓地を訪れている。
アチェ州全体では12万人以上が津波で亡くなった。こうした墓地は市内に何カ所かあるが、いずれも埋葬者の数はわかっていても名前までは分からない。
59人と1匹の命を助けた津波船
港から1kmの住宅の屋根に、漁船がひっかかったまま、残されている。
あらゆるものが波に流されていくなか、住宅近隣の59人がこの船に乗り移って助かったという。今では津波船 Kapal Tsunamiと呼ばれて、災害を後世に伝えるメモリアルとして保存されている。水が去ってから船底をみたらワニが隠れていたことが語りぐさになっている。
となりに階段がつくられて、船の上に登れるようになっている。
甲板から周囲の景色を見ると、ごく普通の住宅街が広がっていた。バンダ アチェはすっかり復興したように見えた。しかしながら亡くなった人が戻ってくる分けではないから、以前と同じにはならない。
生き残った女性が、体験を本にしている。家族を失ったつらさは筆舌に尽くしがたい。心の内のキズはなかなか癒えない。
ワニといえば、津波のときに浮木をくわえて流されていくワニがいて、そのワニに抱きついて生き残った人もいたそうだ。九死に一生を得るというが、緊急時には通常では考えられないことが起きるものだ。
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