バリ島が静寂につつまれる神聖な1日【ニュピ】
悪霊祓いの喧噪が深夜2時過ぎまで続いた翌朝は、ニュピ。この日、2019年3月7日は、バリ島で使われているサカ暦では1941年元旦にあたる。
ニュピとはバリ語で「静寂」
ニュピは、すべての人々が心を清浄にして瞑想して過ごす日。
サカ暦は太陰太陽暦なので、1ヶ月は新月から始まる。日本語の「月のはじめ」という慣用句が新月がだんだん大きくなっていくことを表しているように、1ヶ月が新月から始まる太陰太陽暦は人間の生活感覚にあっていて、なじみやすい暦だ。
1年の初めであるニュピも新月。この日は心を静寂にたもつために、火を使うこと、外出すること、仕事をすることなど、あらゆる活動が禁じられる。しかるべき人たちが町を見回っているので、こっそりと外出することも料理をすることもできない。
喧噪と静寂のコントラスト
昨夜、デンパサール中から悪霊のオゴオゴが集まってきた交差点は、熱気と喧噪が一転して静寂につつまれていた。
雨で、路面に葉が落ちている。ニュピの日に雨が降ることはよくあるそうだが(地域による)、ここ数年は晴れ渡っていたのに、今年は一日中降っている。
ニュピなので路上に人はいないし、車もバイクも走れない。それどころか国際空港も閉鎖されて空の便も全て運休している。商店は休業。
外国人観光客も例外ではなく、ホテルから外へ出ることは厳しく禁じられる。
では、外出禁止なのにどうやって上の交差点の写真を撮ったのかって? それには裏ワザがあるのだ。
ニュピの日の過ごし方
新年を迎えるにあたって、ぼくはバリ島で最も歴史あるホテルとして知られるインナー バリ ヘリテイジホテルに宿泊した。デンパサールにあるこのホテルは、英国のエリザベス女王や、インドのマハトマ ガーンディーが宿泊したこともある。
エリザベス女王が宿泊したと聞くとどんなに素場らしいホテルなのかと一瞬胸がときめくが、60年前のバリ島はリゾートエリアではなく島内にほかにホテルがなかった。そして、バリ島がリゾートアイランド化した今ではすっかり没落してしまって単なる古いホテルである。
けれどもここはオゴオゴを見るのに最適なロケーションなのだ。というのも、デンパサール中のオゴオゴが集まるチャトルムカ交差点Patung Catur Mukaのすぐそばにホテルは位置しているからだ。
そしてこのホテルは通りを挟んで西側が本館、東側が新館と、敷地がふたつに分かれている。そこで、通りは擬似的に敷地内とみなされているのだ。
そんなわけで、この横断歩道を往来することが自由にできる。この通りの次の交差点にはペチャラン(自警団)がいてこっちを見ているのだが、ルームサービスを持ったボーイや宿泊客たちが何度も横断歩道を歩いていた。
外出禁止の日に大通りの真ん中に立って周囲を眺めるのは、異次元空間を覗いているような不思議な感覚だ。
窓に目張りをする
この写真は前日に撮ったのだが、ニュピに備えて、部屋の照明が外に漏れないように従業員が黒いビニールで窓をふさいでいるところ。
おかげで室内は昼から真っ暗だ。ただし中庭にだけ面した部屋はカーテンを閉めきればよしとされて、黒いビニールは貼られていなかった。
食事は問題なくできた
インナー バリ ヘリテイジホテルのレストランは表通りに面していて、しかもオープンエアで開放感抜群。だからニュピの日はクローズしているかと思ったら普通に営業していた。
お昼にぼくはアヤム バカル(インドネシア風ローストチキン)を注文したら、バカルは火を多く使うからできないと断られた。
そこでアヤム ゴレン(フライドチキン)を頼んだらそれならできるとボーイが快諾してくれた。バリ人の家庭では火を使うことは禁じられいても、ホテルではたいがいの料理はつくってくれるようだ。
あっという間につくって持ってきてくれた。
デザートのお菓子もあるし、アイスクリームもあるし、食事に困ることはなかった。ビールを注文した人もいたが普通にビンタンビールを持ってくるし。ホテルに泊まっているなら食料を買い込む必要はまったくない。
ホームステイやロスメンに滞在してたらバリ人家庭と同じなので自前の食料は必要だけどね。
インターネット接続状況
テレビもラジオも放送停止になる1日だが、インターネットの接続状況は、地区によって(プロバイダーによって?)異なるようで、インナー バリでは、午前11時過ぎに雨が降り始めたときにしばらくWiFiが途切れた以外は1日中繋がっていた。
バリ島では雨が降ると携帯電話が繫がらなくなることがよくあるので、本来なら1日中繫がっていたのだと思われる。
それにテルコムのデータ通信も通じていたからスマホだけでも問題なく1日中ネットができた。ホテルのWiFiが通じなかったときは、スマホからテザリングをしてMacBook Proでネットしていた。
ただしバリ島各地で「1日中遮断されていた」という声もよく聞いたので、業者ごとに対応が異なるのかもしれない。
夜はほんとうの闇夜
レストランのディナーの営業時刻は午後6時半まで。
たそがれ時にレストランから往来を眺めていると、徐々に暗くなっていく風景から、このホテルが開業した頃の静かな雰囲気が感じられた。照明をつけることができないから午後6時半を過ぎると自然に閉店になる。
天気がよければ満天の星空が見えるはずだが、あいにくと曇天なのでどんなに目をこらして何も見えない。自分の部屋の前に立つと足元も見えない。本当の闇夜だった。
世界を完全に清める3日間
元旦を迎えるために、バリ人は世界を徹底的に清めている。
日本では「大掃除」といって旧年中に家のなかを掃除するが、バリ島では穢れを祓う儀式をなんども行い、世界の隅々までを浄化して清々しい新年を迎えるのであった。これまでのブログ記事でも書いたが「バリ島の大掃除」はこの順番で進められる。
- 先日のムラスティは神々のお清めの日
- 昨日のムチャルーは町や自宅を清める日
- 今日のニュピは人間が心を清める一日
これだけやれば、かなり清々しく新年を迎えられるのではないだろうか。
高まるニュピの人気
昨今はニュピがバリ島外から注目を集めていて、「静寂の1日」を体験しにわざわざこの期間を選んでバリ島に来る外国人や国内観光客が少なくない。前日のオゴオゴも見応えあるしね。
この期間を選んで日本から3泊のツアーが出ているとも聞いた。旅行中の1日は外出不可だし、前後は閉店している店もあるから、純粋にニュピを体験しにきているのだ。
以前は「観光に不便」だからとニュピの日はツーリストに避けられていたが、今では人気を集めつつあるのだから、時代は変わっていくのだなあと感心したのであった。
ニュピの翌日
バリ人は、夜明けから次の夜明けまでを1日と数えるので、3月8日の夜が明けるまでがニュピだ。
夜が明けたら、交差点のチャトルムカ像の噴水が再開していた。
グレゴリオ暦2019年3月8日、サカ暦1941年Kadasa月2日。
しかし車はあまり走っていない。ニュピが終わっても町はまだ半分眠っている。市場の周辺の店は始業時刻を過ぎてもほとんどが閉店したままだった。コピバリ本店に歩いてコーヒーを飲みに行ったら閉まっていた。
2日前から物流がストップしているので、生鮮食料品を扱う店は営業できないし、それやこれやでバリ人はニュピ前後の3日間休む人も多いようだね。
ディスカッション
コメント一覧
バリ島素敵ですね。
友人もしょっちゅう行ってます。
「俺はインスタ映えの為じゃなく、心から愛し、安らぎに、神に会いに行ってる!」といつも豪語してます。笑
私は有賀さんのファンになったのが最近で、以前の個展に行けてないです。
ぜひ行きたいのですが、個展の予定はありますでしょうか??
ぜひ有賀さんの作品を目で見てみたいです!
こんにちは。
いい友人に恵まれていますね。
ただいま個展を企画中ですので、決まったらお知らせします。
ぜひいらしてください。