桜の原産地は、ヒマラヤの国ネパールだった
ヒマラヤの国、ネパールの桜は秋に咲く。
11月にアンナプルナ ヒマラヤの麓の村々をトレッキングしていたら農家の庭先で白い桜が咲いていた。ネパールの桜は一旦咲くと、かなり長いこと咲いたままで、なかなか散らない。
桜の原産国はネパールだった
桜は日本の国花。では、原産地はどこの国なのだろう?
日本をはじめ、中国、台湾、韓国、ミャンマーなど温帯各地に自生する桜は種類が多い。近年、それら各国に自生する桜のDNAを解析して明らかになった事実は、桜の原産国はここネパールの山地だった。
ネパールは実は温帯の国だった
ネパールは、ヒマラヤ山脈の8000m峰を14座、7000m峰なら250座も擁す国。氷河や永久凍土があることから一般に極寒の国だと思われている。
しかし実は、ネパールの国土の大部分は高地でも低地でもない、標高300m〜2000mの丘陵地帯だ。気候は主に温帯に属し、平均的に日本よりもやや暖かい。
下の写真はいかにも「ネパールらしい」風景。銀白のヒマラヤ山脈を背景にして、民家の庭先にバナナの木が生えている。温帯といっても亜熱帯に近い。なにしろネパールは奄美大島とほぼ同じ緯度にあるのだ。
桜の起源は、数千万年前にここネパールの丘陵地帯で生まれた山桜だった。
山桜の種が鳥に運ばれてビルマの山岳地帯→中国雲南省→福建省→日本へと続く温帯ベルトを渡ってきた。それは人類発生よりも遙か以前のことで、もちろん日本も中国も存在しない時代だ。そして、数百万年を経て日本列島に住む人々にことさら愛されて国の花となった。
各地の桜の染色体を調べて、ネパールと日本の桜の染色体の数が同じで、近い種であることを発見したのは東京農業大学の染郷正孝博士。博士は研究のために幾度もネパールを訪れたことを著作「桜の来た道」で語っている
桜が春に咲くのはどうして?
桜は、原産地のネパールでは秋に咲く。
しかし、ほとんどの日本の桜は春に咲く。日本人は「桜は春の花」だと思っている。原産地では秋の花だった桜が、なぜ日本では春に咲くようになったのだろうか。
これも研究によってあきらかにされている。
ネパールの丘陵地帯は、温帯といっても亜熱帯に近い。首都のカトマンドゥに雪は降らないが、首都を囲む標高2000mの山々はまれに積雪する。ぼくも周囲の山が真っ白になるのを街中から見たことがある。
このように、雪がぎりぎり降らない温暖な地域で生まれた桜が、日本に来て遭遇したのが想像を絶する(笑)厳冬。これを乗り切るために冬になると葉を落として基礎代謝を落とし冬眠することを覚えた。そして、暖かくなってから花を咲かせるようになった。
生命の適応力はすごいね。日本にも「十月桜」や「寒桜」のように秋から冬にかけて咲く桜があるが、それらは祖先の姿を残している桜だ。
特筆したいのは、1968年に、ネパールのビレンドラ王子(後に国王)からヒマラヤザクラの種900粒が日本に送られたこと。その種から育った原木がいまも静岡県立熱海高等学校門前にあり、毎年11月に開花している。詳細は熱海市のサイトで。
「桜の起源は韓国」説は誤りです
ところで、韓国の新聞は毎春、花見の季節になると「桜の起源は韓国」という記事を書いている。「ソメイヨシノは韓国済州島に自生する種なのに日本の花だと誤解されているから、真実を世界に伝えていかなければならない」という記事が、ネットで日本語でも配信されている。
もちろんこれはデタラメだ。桜という種はネパールが起源だし、現在250種ほどある日本の桜のうち最も愛されているソメイヨシノは、江戸時代の植木職人が園芸種として創り出した品種であることがDNAの解析から明らかになっている。
にもかかわらず、韓国の研究チームはDNAを解析して「日本のソメイヨシノの原産地は済州島の漢拏山である」と結論づけた。いったいどうなっているのだろうか。
理由は簡単で、韓国済州島に自生する王桜と、ソメイヨシノの外見が似ていることから、韓国人はこの2つを同一種だと勘違いしているのだ。済州島の王桜のDNAを解析して原産地は済州島と言っているのだから、当たり前のことだ。
佇まいは似ていても、メイヨシノと王桜を並べてみれば花びらの形が違うから別種であることは素人でも分かるし、学名も異なるのだが、それが韓国人には学者も含めて理解できないのだなあ。
その上、サクラとソメイヨシノをも混同している。日本人がサクラというときはソメイヨシノを指すことが多いが、両者がイコールではないことは日本人なら誰でも知っている。が、韓国人はそれを分かっていない。
韓国人は、鑑定能力以前の問題でなにかの思い込みが強すぎるようだ。事実に興味がないのだろう。
桜を楽しむ伝統が1200年続く日本
日本で桜が愛されるようになったのは平安時代初期に遡る。弘仁3年(812年)に嵯峨天皇が日本初の桜の花見会をしたら、日本人の感性によほど合っていたのか、たちまち桜を楽しむ文化が広まった。
平安以降の日本では、和歌や絵画、着物の柄から料理の飾りまで、あらゆる芸術分野で桜がモチーフになること枚挙にいとまがない。
太閤秀吉が大名ら1300人を招待して醍醐寺で催した花見宴は歴史に残る壮大なもので、NHK大河ドラマで毎回描かれる定番シーンだ。
江戸時代には徳川吉宗が土手に桜を植えさせて、庶民の花見場所を各地に作った。隅田川の桜堤や、品川の御殿山など今に残る桜の名所がそれ。
桜を楽しむ伝統が100年に満たない朝鮮
一方、朝鮮で桜の花見がされるようになったのは20世紀になってからのこと。日本統治時代にソメイヨシノが移植され、朝鮮人ははじめて桜の美しさに開眼した。
それまでの朝鮮人は桜にまったく関心を持たず、19世紀以前に朝鮮人が桜の花見をした記録はひとつもない。文学にも絵画にも桜は一度も表現されたことが無い。詩の一首すらも詠まれていない。20世紀になってから日本文化の影響を受けて朝鮮人(韓国人)が花見を始めたのはあきらかだ。
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ソメイヨシノの原産地は東京
ソメイヨシノは、江戸時代のたった1本の原木から接ぎ木を繰りかえすことで日本全国、そして世界中に広まった園芸種だから、全ての木は遺伝子が完全に同じ。それゆえに一斉に咲き、一斉に散っていく。実はできても発芽しない種だから自生地はありえない。それは日本人なら知っている。
米国ワシントンD.C.のポトマック河畔は世界的な桜の名所になっている。これも戦前の東京市が荒川の桜並木から穂木を取り、接ぎ木した6040本を送ったものだ。
ソメイヨシノという名の由来
ソメイヨシノの原木を作った植木職人が誰なのかは今も謎だが、2015年に、千葉大学の研究チームが全国のソメイヨシノの葉をゲノム解析してルーツを探り、上野公園の小松宮像近くに今も佇む1本のソメイヨシノが、原木か、それにかなり近い木である可能性を探り当てた。歴史のロマンを感じてワクワクするね。
この木が原木そのものかどうかまだ確定されていないものの、現在のところ原木は江戸上駒込村染井(現在の東京都豊島区駒込)の植木職人がエドヒガンとオオシマザクラを交配して作ったと推定されている。
江戸時代の駒込染井には植木屋が多数集まっていて、幕末に訪れた英国人植物採集家ロバート フォーチュンは著書で「私は世界のどこへ行っても、こんなに大規模に、売物の植物を栽培しているのを見たことがない」と感嘆している。のちのロンドンのキューガーデンの園長になったフォーチュンは著書で駒込染井を「世界最大の植物園」と評した。
さて、植木職人が作りだした新種の桜は、奈良の景勝地 吉野山にあやかって吉野桜と名付けられた。それを、江戸に住む人は本当に吉野の桜だと思いこんでいたらしい。
明治になって「吉野桜」と吉野の桜が別種であることが確認され、名が染井吉野にあらためられたという。
町全体が植物園として世に知られた駒込染井だったが、関東大震災後に植木屋が郊外へ移転して面影がなくなり、現在はふつうの住宅街になってしまった。わずかに「染井通り」の名が残っていることと、JR山手線 駒込駅前に染井吉野桜発祥之里という記念碑が建てられているばかりである。
では「桜の起源は中国」説は?
中国にも「桜の起源は中国」説がある。
これは、ヒマラヤ山脈の北側が中国領チベットであることから起きた誤解だ。チベット高原は平均標高4000m(中国西蔵自治区)で非常に気候が厳しく、桜どころかほとんどなんの樹木も生えていない。桜の起源であるわけがない。
下の写真がヒマラヤ山脈の北側。見渡す限り人が住まない荒野が広がっている。
ヒマラヤの南側はあんなにも緑豊かな温帯なのに、北側はこんなにも荒涼としている。まったく違う自然環境だ。東西2500kmの巨大な山脈が雨雲をせき止めて、こうなってしまったのだ。
普通の中国人にとってヒマラヤは地の果てといっていい場所なので、南北の地理関係がよくわからず、チベットとネパールがごっちゃになってるようだ。韓国人のようにデタラメを言っているというよりも、地理を誤解しているのだろう。
ただし余談(というか重要なこと)だが、本来チベットは独立国だ。1950年に中国軍が軍事侵攻し100万人のチベット人を殺して中国領にしてしまった。中国の侵略は違法で無効だ。チベット人はいまもチベットは独立国だと考えている。だから「桜は中国起源説」は妄言だということもできる。
中国でも桜は人気急上昇中
現在は中国にも、日本からソメイヨシノが多数移植され、桜の花見が各地でされるようになってきた。ここ数年は伝統的な梅よりも桜の方が人気が高くなりつつあるという。中国人は「花見は日本の文化」ということをもちろん知っていて桜の美しさ、そして花より団子の日本の宴会文化までもを楽しんでいる。
さらには「本場の桜が見たい」という希望が高まり、日本の桜前線が春のニュースとして取りあげられているほどだ。どうりで、以前は外国人がいなかったうちの近くの公園でも、桜を楽しむ中国人の姿を見かける訳だ。
桜以外の、ネパールと日本の共通点
ヒマラヤの丘陵地帯に咲く桜は、和名ヒマラヤザクラ、英語でヒマラヤンチェリー Wild Himalayan Cherry、ネパール語でパイニュ पैयुँ、ヒンディー語でパダム पदमという。地元では縁起のよい樹木とされ、木全体を伐採することはなく、儀式で小枝を使うことがある。農村では花見会をすることもあるそうだ。
ネパールは小さな国だが、ブッダが誕生し、桜も誕生し、そして世界最高峰のエヴェレストを擁する国であることを人々は誇りに思っている。
こちらはネパールの国旗。
上が三日月、下が太陽をデザイン化している。
月と太陽の寿命と同じぐらいネパールの繁栄が続くように、という願いが込められているそうだ。「苔のむすまで」と同じ発想なのだねえ。
日本もネパールも、未来永劫ひとびとが楽しく暮らせる国でありますように。
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ディスカッション
コメント一覧
へぇ~桜って日本固有の花じゃ無かったんですね? ネパールが故郷ですか?何か宗教も同じですね!ヒンズー教から南下してく内に仏教に変化してくみたいな…
人もジャカルタ等バリ島以外のインドネシア人は彫りが深くて、鼻が鷲鼻みたいに高くて絶対インドから移り住んだ人々って感じだし…
バリ人は鼻も丸くて日本人に近いから親近感が湧きますね♪(^ー^)
桜はネパールが原産で、温帯に広く分布しています。それらのうち日本の固有種もいくつかあって、国花のソメイヨシノは江戸染井村が原産です。
ヒンドゥー教の成立は西暦4世紀頃なので、仏教(紀元前5世紀に成立)より千年近くも後なんですよ。
インドネシアの国名の意味は「インド島」ですから、インドとの歴史的つながりは大変大きいです。インドっぽい人も結構いますね。
私は鳥取市に居住していますが、鳥取市の山間部で、岡山県に近い「鳥取市佐治町」(旧佐治村)で500万年~350万年前の地層から、『ムカシヤマサクラ』の化石が出土しています。
この出土地の近くを流れる佐治川の河川敷からは『ムカシブナ』の化石が沢山採取でき、鳥取大学のブナの専門の先生と採りに言っています。
400万年前は、日本は大陸奥地からの流出してきた堆積物と直接接していたそうですので『鳥が運ぶ』、『福建省から』と断定する必要は無いのではないでしょうか。
ちなみに『ムカシヤマサクラ』の化石は「鳥取県立博物館」に収蔵されていて、博物館のHPにもあります。
こんにちは。
サクラは小鳥によって繁殖地が広がっていく種目です。実が鳥に食べられて、果肉が消化され糞と共に種が地面に落ちて、そこから発芽します。現代のサクラでも、400万年前のサクラでも繁殖の仕組みは同じだと思います。サクラが可憐な花を咲かすのは、暗い森の中で小鳥たちに存在をアピールするためなんだそうです。生きるためにあのきれいな花を咲かせ、美味しい実をつけているんですね。
『福建省から』ですが、『ヒマラヤから日本へ続く温帯ベルト』を分かりやすく説明するためにあのように書きました。古代のことであっても、地理を説明するのに現代の地名を用いるのは一般的な方法だと思います。また温帯は福建省だけではありませんが、浙江省や江蘇省など温帯地域をすべて挙げるのは煩雑ですから、本記事においては妥当な表現だと思っています。
ご意見、ありがとうございました。