クシャナ朝の都、ダルヴェルジン テパ
テルメズの北郊120kmにあるダルヴェルジン テパは、紀元前3世紀から紀元8世紀までに栄えた都城の遺跡だ。
ダルヴェルジン テパという名称は聞いたことがなくても、クシャン朝(クシャナ朝)の名称は高校の世界史の教科書に出てきたから覚えているかもしれない。あるいは漢字名の大月氏国なら耳に残っているだろうか。
この小さな都城から興ったクシャン朝は、第4代王カニシカ(在位143〜171)の時代に中央アジアから北インドへとまたがる大帝国へと発展した。カニシカ王は首都をガンダーラに移し、その地でギリシア文明の影響を受けたガンダーラ美術と、大乗仏教が興ったことは、世界史の教科書に載っている。
カニシカ王がいなければ、もしかしたら大乗仏教はおきなかったかもしれない。すると、玄奘も聖徳太子も最澄も空海も存在しなかったかもしれない(少なくとも、歴史上、知られているような人物としては)。ということは、その後の日本人と日本文化は、いまある姿と大きく違ったものになっていただろう。もちろん世界史も。そう考えると、この都城が世界史上で意外なほど大きな存在であったあることがうかがい知れる。
クシャン朝の都がガンダーラに遷ってからは、ダルヴェルジン テパは地方都市として栄えていたが、紀元8世紀には人が住まなくなってしまった。
いま、都城は土に埋まり、そのごく一部しか発掘されていないが、調べたところによると、滅亡時の住人は家財を持ち出す余裕もなく、あわてて逃げ出した形跡が見られるという。だから土の下にはまだまだ多くの品々が眠っている。ある商家跡の床下からは35kgもの金の装飾品がみつかったそうだ。
ダルヴェルジン テパの人々が都城を棄てたのは、新興勢力のアラブ=イスラム教徒が突然来襲してきたからだと考えられている。ほとんど着の身着のままで、住人たちはどこへ逃げたのだろうか。無事に逃げ切ることができたろうか。
他の中央アジアの地域と同じようにここでも文明は断絶して、栄華は跡形もなく消えてしまった。今では、放牧地として羊が草を食んでいる姿しか見られない。
Nikon D7000
AF-S 24-120/4 VR
Dal’ verzin-tepa
ダルベルジン テパ、ウズベキスタン
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