カトマンドゥからジープで9時間、ヒマラヤ山麓 タマンヘリテイジ トレッキング撮影旅行へ
今回は、ヒマラヤ トレッキングのコースとしてはまだあまり知られていないタマンヘリテイジを歩くためにネパールに来た。
タマンとはカトマンドゥの北の山地に住んでいるチベット系の人たちのこと。言葉はチベット語の方言のタマン語を話している。タマンヘリテイジというコースは、彼らの伝統的な村を尋ねて歩くことからそう名付けられた。
朝6時、カトマンドゥの夜明け
2月10日、日本からタイ経由でネパール入りした長旅の疲れを癒すため、朝6時までたっぷり眠てしまった。
カトマンドゥ盆地の夜が明ける。
朝7時、カトマンドゥからジープに乗って出発
トレッキングの出発地点へは、ジープで出発した。渋滞が慢性化しているカトマンドゥでもこの時刻ならまだ交通が少なくて、空気も清々しい。
20年以上前なら昼間でもこのくらいしか車が走っていなかった。いつでも好きなときに道路を横切れたものだ。ぼくはそんなのどかなカトマンドゥが好きだった。今では早朝のこの時間だけ、いにしえの雰囲気が味わえる(おおげさ)。
カトマンドゥ盆地を囲む五山のひとつ、シヴァプリ山脈の登りにかかる道から振り返ると、霞のかかったカトマンドゥに朝日が当たる様子が見えた。
カトマンドゥからラスワ地方へ向かう道はいくつかあるが、ジープで行くならカトマンドゥからまっすぐ北へ走る道をとる。トーカ村とチャハレ盆地を通るので、地名をとってトーカ チャハレと呼ばれるルートだ。
8時10分、シヴァプリ山脈を越える
チャーターしたのはインドのマヒンドラ製のイスカピオという大型ジープで、乗り心地は結構いい感じ。料金はガトランという村まで19500ルピー。
ちなみにシャブルベシまでなら16000ルピー。ジープは高いけれど、乗用車では走れない道だから仕方がない。
峠を越えます。
シヴァプリ山脈を越えると、ヘランブー地方に入る。カトマンドゥから山ひとつ隔てただけとは思えないほどのんびりとした地域だ。
この道も一度は舗装されていた筈だが、メンテナンスがされていなくてあちこちが壊れているから、今ではジープか大型トラックしか走らない道になっている。道幅が狭いからすれ違うときはハラハラすることも。
ネパールのランチは午前10時ごろ
ネパール人は一般に朝食はとらず、午前10時過ぎに昼食をとる。
ぼくは、日本流に12時過ぎにランチをしてもいいんだけど、ネパール人に合わせた方が彼らの機嫌がいいので、少し早いけれどちょうどトリスリバザールに着いたのが午前10時過ぎだったから、バザールの食堂でネパール定食ダルバートを食べることにした。
午後2時きっかりにシャブルベシ到着
この先はまた登り道が続く。2015年の大地震で地崩れでなくなった道を修復しているとこも多く、トリスリから先はジープでないと走れない。修復がなかなか進まないのは、トリスリ〜シャブルベシ間に幅広の新道が建設中なので、そっちに力をいれていることもあるようだ。
シャブルベシは、ランタンやタマンヘリテイジなどのトレッキングの出発点になるバザールで、カトマンドゥからの直行バスに乗っても終点である。
ここで30分ほどのおやつタイム。ネパール人は午前10時過ぎにランチを食べて、午後2時過ぎにおやつを食べる習慣だから、ネパール人に進行を任せると彼らのペースでぼくもおやつを食べることになる。
運転手たちはその辺の食堂でララヌードルというインスタントラーメンを食べていた。ぼくはキッチンで包丁を借りて、ホテルから持ってきたリンゴの皮をむいて食べた。
シャブルベシを過ぎると標高差800mの急な登り道が始まる。トレッカーはシャブルベシから歩き始めるのが一般的だけれど、ぼくは1日分をセーブするために引き続きジープに乗って初日の目的地ガトラン村まで乗っていくことにしている。
下の写真に写っている谷の奧がランタン渓谷。ランタンヒマラヤはここからは見えない。シャブルベシを眼下に見下ろすシェルパたち。
午後4時、ガトランに到着
シャブルベシから1時間半ほど走ると、タマンの村ガトランに到着。
残念なことに先の大地震で崩れた家が多数あり、応急措置でトタン屋根を被せたままだったり、新しく作り直している家が少なくない。地震前はすべての家が木製の屋根で統一感のある村だったそうだけど….
この辺りの人はあまりツーリスト慣れしていなくて、ぼくを見て笑顔で近寄ってくる人もいる。近寄ってきて何をするというわけでもなく、ただ微笑んで、それから行ってしまう。
まる1日掛けた移動も終わり。いいところに来た。
昨日ジープで、カトマンドゥからシャブルベシ経由でタマン族の古い村ガトラン村に到着した。1泊したガトランは、できれば数日滞在して写真を撮りたい、雰囲気のいい村だった。
Day1. 今日から歩き始める
ガトラン村〜タトパニ
ガトラン村の道端で。タマン族の子供たちがカワイイですな。
奧に標高6596mのランタンII峰が見える。
村に朝日が当たるのは8時すぎ。それまで気温4度だったのが、たちまち気温が上がって日向は22度にまで上昇して急に暑くなってきた。
9:00 朝日を浴びながら歩き始める
早朝の寒さを防ぐために着ていたダウンジャケットをバックパックに仕舞い、軽装に着替えてロッジを出発した。持ち物はカメラ2台と小さな斜め掛けバッグだけ。それ以外の荷物はポーターにおまかせ。
ガトラン村からチリメ村までの道には、チョルテン(石造りの仏塔)が108基建てられているという。地震で倒壊したり再建されたりして、いま何基あるのかよく分からない。
なだらかに下るトレイルを歩いていく。
下りきったチリメ村には水力発電所がある。チリメ川に架かる吊り橋を渡ると、こんどは標高差900mの登りにかかる。
12:20 昼食どころに到着
丘の中腹チェルカ集落にある、小さなロッジに到着した。
タマン族の若い夫婦が営んでいる食堂だ。ここでランチにダルバートを頼んだんだけど、客が少なくて下ごしらえをしておらず、注文を受けてからご飯を炊き始めるので食べられるのは1時間後くらいか。
この店は水力発電所から近いからかデータ通信圏内だった。時間はたっぷりあるし、テザリングでMacでネットに繋いでブログを更新してしまった。前回の記事のことです。
そうこうするうちに、ダルバートをつくって運んできてくださいました。
なかなかおいしかった。料理上手な奥さんらしく、お手製のアチャール(こっちのピリ辛漬け物)はかなりのレベル。ここのアチャールは、トマト・コリアンダー・ガーリック・大根を小さく切ってバランスよく味に深みがあった。いい女将さんですな。
14:10 昼食を終えて登り始める
ロッジを後にして、更に20分ほど急坂を登ったら、その先は緩やかな登り道だった。
歩き始めなんで、900mの急坂を登ったら脚がフラフラしてきた。
15:48 タトパニに到着
今日の目的地、標高2500mのパラガン村のはずれには、湯治場として知られた温泉があった。タトパニとはネパール語でお湯(この場合は温泉)のことだ。
温泉には外国人向けのロッジが5軒、ネパール人向けの宿が10軒ほどが集まっていて、かなり賑わっていた温泉だったようだ。それが、2015年の大地震でお湯が枯れてしまったため、いまでは何もない場所に宿が集まっている不思議な空間になってしまった。トホホ…
ぼくが泊まったピルグリム ホテルロッジ。
ピルグリム ホテルロッジのすぐ裏に温泉跡があった。
すっかり枯れてしまって、露天の浴槽だけがむなしく残っている。
かつては打たせ湯がここから流れ出ていたのだが…
実は、ぼくは20年前にこの場所に来て温泉に浸かったことがある。
しかし、当時は温泉周辺には一軒の宿もなく、湯治客が雨露をしのぐためにダルマサーラ(無料の巡礼宿)がただ一戸あるだけだった。ひとつ上の写真の奧にみえる家畜小屋みたいなのがそれ。
20年ぶりに中に入ってみた。
特に変わった様子はなかった。地震で崩れることもなかったようだ。20年前はここに寝袋を敷いて寝たのだ。今では本当に家畜小屋として使われているようだ。
当時は、シャブルベシからここまでの間には茶屋が一軒あるだけで、ほかには宿も食堂もなかった。だからシャブルベシで米やタマネギなどの食材を買ってポーターに持たせ、民家のかまどを借りてガイドにダルバートを作ってもらって食べたものだった。
それが今では、ストーブを前にして夕飯が注文できるのだから凄いものだ。コカコーラでもビールでも注文すればでてくる。
写っているのは今回雇ったポーターのパサン。たしか20年前のポーターもパサンといった気がする。よくある名前だけどね。
今では、宿はたくさんあるものの、客の数は温泉全体で1日に数名いるかどうか。ここピルグリム ホテルロッジに泊まっているのはぼく1人だけだった。
この記事を読んだ方で、温泉の開発に詳しい方がいらしたら、ボランティアでここの温泉の再開発に協力していただければ村の人たちが大喜びすると思いますよ。浴槽の裏には、村の人たちが重機を使って掘削した跡が残ってますが、横方向に15m掘ってあきらめてしまったようです。村人にはなんの知識も技術もないので、このまま湯治場が滅び行くのを待っているだけみたい。
滅んだら農家に戻るだけなんですが。
ぼくは温泉につかることは出来なかったが、快適なロッジがあるだけでも満足している。今回は、寝袋を個室の木製ベッドに敷いて、ゆっくりと寝れる。
Day2. 標高3800mのヒマラヤの展望台へ
タトパニ〜トゥマン村
朝、起きたら曇っていた。
昨日まであんなに青空が澄んでいたのにどうしたことだろう。ま、そのうち晴れてくるだろう。
泊まっていた宿は、お客が少ないから静かなのはいいんだけれど、出発前の支払いにRs1000札を渡したらお釣りがなかった。現金の持ち合わせが少ないようだ。
お釣りの工面をしている宿の人々。
よりによって展望台に来たのは曇天の日
タトパニを後にして、山腹を横に1時間ほど歩けば、棚田が地図の等高線のようにびっしりと刻まれている。棚田の上に見える集落はガルジン村で、できれば寄りたかったが素通りしてしまった村。いろんな村があるけれど、ほとんど素通りだなー
棚田の眺望を背を向けて、急坂を登りにかかった。700m上方は標高3298mのナクタリ ギャンという展望台で、そこにはロッジの客引きの看板が4つ、寂しげに立っていた。
ロッジは看板の数だけ4軒あるが、シーズンオフなので営業しているのは1軒だけだった。山々の向こうにチベットの山もうっすらと見えるが、迫力の無い写真である。
昼食をとりに入ったロッジには、ノルウェー人とデンマーク人のカップルがいた。彼らはここから往復3時間かかる展望台タルチェへ行くためにナクタリへ来たのだが、天気が悪いからここに連泊してチャンスを伺っているそうだ。
タルチェは、周囲のヒマラヤの圧倒的な景観だけでなく、国境の向こうのチベットの村々も見えて、旅情をいやが上にもをかきたてられる標高3800mの展望台の筈だ。
ぼくも展望台タルチェへ行くつもりでいたのだが、天気は快復しそうにないし、明日もよくならない気がするから、昼食をとったら山を下りて次の村へ向かうことにした。
みんなでランチをとっている間に、外は小雪がちらつき始めた。
あ・そうだ、今日はマハー シヴァラートリだった
羊の群れとすれ違いながら山路を下っていく。
次の村というのは、800mの下り坂を下りた先にあるタマン族の古い村トゥマン。
この村に来てから思い出したのだが、今日はシヴァ神を祈るマハー シヴァラートリの日ではないか。
ヒンドゥー教三大神のひとり、シヴァ神を祈るシヴァラートリ祭は実は毎月あるのだが、今日のはマハー シヴァラートリといって特別な日。なにが特別かというとヒンドゥー教の特徴として異説が多すぎて由来はよく分からないが、カトマンドゥのパシュパティナート寺院にはシヴァ派の行者がインド各地から集まってきて大混雑する。シヴァ派の行者はすごい外観をしていてフォトジェニックだから、一度は集中して撮影させていただきたいと思っている次第。
で、この日はなんでもシヴァ神とパールバティー妃が結婚式をあげた日とか、シヴァの生誕を祝う日とか、由来についていろんな説があるがどれも真実ではないらしいところがヒンドゥー教らしさ。しかし、シヴァを深く観想することだけは共通している。
それはともかくとして、この日には寒の戻りがあって、乾季にもかかわらずカトマンドゥに雨が降るのだ。
カトマンドゥが雨なら、ラスワ地方だったら雪が降ってもおかしくない。
よりによって、ヒマラヤの展望台に行く日とシヴァラートリを重ねて予定を組んでしまった….。まあしょがねーか。シヴァラートリのことはすっかり忘れていたし、覚えていても日にちをずらせるわけでもないし。
曇天のまま、一日が終わる。
Day3. ヒマラヤは今日も曇天だった
トゥマン村〜カムジン村
昨晩は雨音で何度か起こされた。朝になって山を見たら、標高2800mあたりにきれいな雪線がついていた。
今日も曇っている。シヴァラートリだし仕方ないな。
この辺の人は、ヒンドゥー教徒の祭典シヴァラートリにまったく関心が無いらしく、「今日はシヴァラートリだね」と言っても「ふーんそうなんだー(何それ)」みたいな反応しか返ってこない。
ガイドでシェルパのミンマくんに聞いても「何をする日なのかぜんぜん知らない」ということだった。たぶんぼくの方が詳しいだろう。いや、ぼくだって詳細を知ってるわけじゃあないけどね。
疲れているのか今朝は6時に起きられず、7時近くまで寝てしまった。合計9時間も眠ったので足取りも軽く、トゥマン村からさらに800m下ってボテコシ(川)まできっかり1時間半で降りてこられた。
ボテコシにかかる橋は、なんとなく壊れているが、このまま使われているようだ。
こんなふうに。
この夫婦はトゥマン村から買い物をしに降りてきたのだそうだ。橋を渡った先に雑貨店があって、塩など生活必需品を買うという。塩なら村にもあるのではないかと思ったら、下で買った方が安いから、とのこと。
ぼくも雑貨店兼食堂で、登り路に備えて休憩をとった。
下った分、登らないといけない。
ダルバートを電話予約する
この辺のトレッキングで悩ましいのはランチをどこでとるか。ランチがとれる店が少ない上に、営業しているかどうかもわからない。汗びっしょりになって到着したら閉店していたということもあり得る。そして、営業していたとしても注文してからご飯を炊き始めるから食べられるのはその1時間後だ。これって結構な時間のロスだ。
そこでガイドのミンマくんが周囲に訊いて、標高2100m付近で営業しているロッジがあることを聞いて、携帯電話でランチの予約をすることにした。
それから1時間かけて600mを登ったところにあるペルコ トップホテルに到着した。ちょうど店の奥さんがタルカリ(ネパールカレーの具)を作りはじめたところだった。あまり待たずにランチが食べられそうだ。
ホテルといっても小さな食堂なんだけど、ネパールでは山荘も食堂も「ホテル」と呼ばれることがままあって、ネパール人に「ホテルがあるよ」と言われても実際にそこへ行くまではホテルなのか貧しげな食堂なのか分からないことがある。さすがに山中にホテルはないと分かるけどさ。
食後は森の中を歩いて、ブリディン村を過ぎてカムジン村へと進んだ。
歩き疲れたトレッカーを迎えてくれる子供たち。
ロッジのかまどの前に座って暖をとるのはトレッキング中の楽しみのひとつ。
Day4. 青空に銀嶺、ガネッシュヒマール
カムジン〜ラマホテル
今日はいい天気だ。やっぱりシヴァラートリの日だけは天気が崩れるのだなあ。
カムジン村を出発したのは朝8時30分すぎ。登るに従って見晴らしが良くなってくる。20分も登るとガネッシュ ヒマールがよく見えてきた。
一昨日、曇っていた展望台のナクタリもよく見える。ナクタリは目の前にガネッシュが聳えているのだから、さぞ素晴らしい景観だったことだろう。ナクタリをアップにしてみよう。
ジャジャーン
手前の開けた丘がナクタリ。ここからの眺めはすごそうだね。
この特徴的な雪の頂はカトマンドゥからもよく見え、ナガルコットからも望遠レンズでアップで撮影されている写真をよく見かける。それがこんなに近くにあるとは。
春の訪れを感じて歩く
春の訪れを感じされる、赤いシャクナゲもほころび始めていた。
北を見ればヒマラヤだが、南を見ればカトマンドゥまで続く丘陵が連なっていた。
下方にはバザールの町、シャブルベシの家並みと、4日前にジープで登った九十九折りの自動車道路も見える。
おや、道路で何か起きているぞ。
赤いトラックが故障して道の途中で止まっていた。路幅が狭いから後続の車は追い越すこともできずに停まっている。Uターンして戻ることこともできないから、故障車が直るまでこのままだ。あーあ、かわいそうに。
故障が直るのがいつのことが分からない。2〜3時間後か、今晩か、それとも明日になるか。ネパールはこういうことがよくあるから、旅の予定もすんなりとは進まない。
下界の出来事を横目に、ぼくらは今日も歩いていく。
シェルパの里にやって来た
シェルパガオンが見えてきた。
シェルパガオンとは「シェルパの村」というベタな名前の村。
シェルパといえば、ヒマラヤのガイドの代名詞として世界に知られているけれど、本来はチベットからネパールに移住してきた人たちの民族名。主にエヴェレスト方面に住んでいる。今回、ぼくのガイドをしてくれているミンマくんもシェルパだ。
で、なんで「シェルパの村」なのかとトレッキング中に土地の人に聞いたら、実はこのあたりに住むタマン族は、本当はシェルパ族なのだそうだ。
ガトラン村も、タトパニも、これまで通ってきた地域に住むのはシェルパなのだった。だから彼らの暦はシェルパと同じで、明後日にやってくるシェルパ新年を祝う準備を村々で進めていた。なんでも、チベットから移住してきた当初にネパール政府に「タマン」と登録されたため、以来、タマン族ということになっているのだが、自分たち的にはアイデンティティはシェルパ族なのだそうだ。
ずいぶんテキトーな感じもするが、それで不便はないらしい。
ということは、今回のトレッキングの名称であるタマンヘリテイジは、本当はシェルパヘリテイジではないか。という、ほとんどの日本人には関心が無いと思われる重要情報が分かったところで、このトレッキングも終了にさしかかろうとしていた。
まもなく、川沿いに山荘が並ぶラマホテルに到着。
Day5. ヘリテイジトレッキング最終日
ラマホテルから先、トレッカーの行き先は2つに分かれる。
タマンヘリテイジだけの人は
タマンヘリテイジ トレッキングだけを楽しんで、ランタン渓谷へ進まない人は、ラマホテルから西へ5時間歩いてシャブルベシに到着してトレッキングを終える。
ランタン方面へ行く人は
ラマホテルから、ぼくはランタンヒマラヤのふもとを歩くランタントレッキングへと進む。このまま東へと歩き始める。このブログ記事もランタントレッキングへと続く。
どちらにせよ、タマンヘリテイジ トレッキングはここで終了。この辺の人は素朴で、写真を撮りやすくて、楽しく山々を歩けました。
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